サンタクロースは良い子にプレゼントを届ける存在。しかし、悪い子にはおしおきに訪れるブラックサンタという存在もいるらしい。
果たして聖夜のフィルクレヴァートに降り立ったのは、どちらなのか?
闇夜を照らすまばゆい大時計の傍らで、漆黒の影が笑う。
悪足掻きは無駄だ。
黒き聖夜の使者からは、誰も逃れられない。
主人公名:〇〇
主人公の一人称:自分
──これは、クリスマスに貴銃士たちが一騒動を起こす
前のこと。ファルは1人、夜の街を歩いていた。
ファル | (士官学校での暮らしも、日々の任務も、 ただ銃としてあるべき姿でいるのみ……。 それなのに、私が抱いているこの──確かな『渇き』) |
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ファル | (至高の逸品を手に入れるまで、 きっとこの渇きは埋められない……) |
ファル | 高望み、なんでしょうかねぇ。 しかし……どうしても、何か違う、何か足りないと思ってしまう。 |
ファル | はぁ……難儀な嗜好を持ってしまったものです。 |
ため息をつきながら歩いていたファルは、
やがて、店が軒を連ねる通りで足を止めた。
ファル | (あの店には先日行きましたね。 悪くはなく、むしろ上質で魅力的……だが、 最高の域に至ったものはなかった……) |
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??? | ……旦那。そこの旦那。 |
ファル | ……? 私をお呼びですか。 |
??? | へぇ。俺の目に狂いがなけりゃ、俺の探し人は旦那ですぜ。 街のあちこちで、最高の品を探し求め、 決して満足することのないお人……そうでしょう。 |
??? | 俺なら、旦那が探し求めている品を用意できる…… そう言ったら、興味を持っていただけますかい? |
ファル | ほう……あなたに、本当にそれが可能だと? |
??? | もちろん……あと、安請け合いはしませんぜ。 だが、俺は欧州を中心に、各地にネットワークを持ってるんでね。 俺と組むのが、最高の品への一番の近道ってわけでさぁ。 |
ファル | ……なるほど。 しかし、あなたは核心に触れていません。 本当にご存知なのですか? 私が何を探しているのか……。 |
??? | そりゃあもちろん! 旦那がお探しなのは…… 最高のチーズと、それに合う最高の赤ワイン! どうです? |
ファル | フフ……。 基本的な情報収集はできているようですね。 しかし、私は特にチーズに関して、本当にうるさいですよ? |
??? | ははっ、商人の腕の見せどころってわけだ。 早速ですがね、通の旦那を唸らせることができそうな これぞという逸品が、この先にありまして……。 |
サラマンディ | このサラマンディ、 商人人生25年でもなかなかお目にかかれなかった、 幻のチーズですぜ。 |
ファル | 幻のチーズ……ですって? |
サラマンディ | へぇ。……おっと、こんなところで立ち話もなんですね。 誰かに聞かれちゃ一大事。早速ご案内しましょう。 ささ、こっちへどうぞ。 |
ファル | ……わかりました。 |
サラマンディと名乗った怪しげな商人は、
薄暗い路地へと入っていった。
ファル | (信じるに足る人間なのかはわかりませんが…… ただの人間1人、罠があったとしても私の敵ではありませんね。 ここはひとまず……好奇心に身を任せましょう) |
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男は薄暗い路地の半ばで小道に入り、
薄汚いドアをくぐる。狭い廊下を抜けると、
目の前に現れたのは人で賑わう小規模の広場だった。
ファル | …………! ここは……。 |
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サラマンディ | ……着きましたぜ、旦那。 食通が集まる秘密の市場でさぁ! |
サラマンディ | これは、中東で使われる希少なスパイス。 こっちは白トリュフに燕の巣、フカヒレ…… ロンガンやドリアンなんかもありますぜ。 |
サラマンディ | 集まるお客人も一流揃いでしてねぇ。 有名レストランのスーシェフや、 一流ホテルの総料理長……そうそうたる顔ぶれ── |
ファル | 御託は結構です。 私が探しているのは珍味ではなく極上のチーズと赤ワインですし、 集まっている人間にも興味はありません。 |
サラマンディ | おっと、こいつは失礼を。 それじゃあ早速、舌に見てもらいやしょう。 |
サラマンディ | さあ、こいつなんかどうです? イングランド産のチェダーチーズ。 洞窟熟成の一品で、甘美で強い味わいが楽しめますぜ。 |
ファル | ふむ。香りがいいですね。 いただいてみましょう。 |
スライスされたチェダーチーズの香りを確かめ、
ファルは一片を口に運んだ。
ファル | これは……! 濃厚なコクがあるのにくどくはなく、 セミハードらしい食感がありながらも、 口の中で優しくほどけていく……! |
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ファル | (どれほどのものかと見定めるつもりの一品目でこれとは…… この男、ただの胡散臭い商人ではない……!) |
サラマンディ | さあ、お次は真打、幻のチーズをご賞味あれ! |
ファル | これは……ブルーチーズではありませんか! ああ、たっぷりとした青カビに彩られた断面が美しい。 強いながらも、どこか柔らかく高貴さを感じさせる香り……。 |
香りを楽しんだあと、
ファルは一片をゆっくりと口にした。
ファル | ……、……。 ……………………。 |
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ファル | あなた……裏切りましたね。 |
サラマンディ | へぇ……。 |
ファル | 私の期待より……大きく、ずっといい方へ!!! |
ファル | ああ……どうでしょう、この…… 内部に青カビがよく行きわたった見た目のインパクトとは裏腹に、 味わいは思いのほか優しく、ほのかな甘味も感じられる……。 |
ファル | 弾力のある食感、ほどよい塩味と豊かな香り……。 ふ……ふふふふ……赤ワインだけでなく白ワインとも合いそうで、 広い可能性を感じさせる……まさしく逸品! |
ファル | ……サラマンディと言いましたか。 私は街でチーズを扱う店をかなり巡りましたが、 あなたほどの目利きに会ったことはありません。 |
ファル | あなた……一体何者なんです? |
サラマンディ | へへへっ、お褒めにあずかり光栄ですぜ、旦那。 俺はしがない商人、サラマンディ。 またの名は……さすらいのチーズハンター! |
ファル | サラマンディさん……。 |
ファルは、静かに手を差し出す。
2人は、固い握手を交わした。
ファル | サラマンディさん。 至高のチーズと、最高のマリアージュを楽しめるワインの発見…… そのために、あなたの力をお借りしたい。 |
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サラマンディ | それはそれは。 あなたほどのお方に認められるとは、商人冥利に尽きますな。 |
サラマンディ | 旦那が心底気に入る最高のチーズのため…… 力を尽くしますぜ。 |
ファル | ええ。どうぞよろしくお願いします。 |
──こうしてファルは
さすらいのチーズハンターこと商人のサラマンディと知り合い、
彼と幾度となく取引をすることになったのだった。
フィルクレヴァート士官学校が
クリスマス休暇に入ったある日のこと──。
ファル | クリスマス休暇……と言われましても、 一体何をすればいいんでしょうねぇ。 |
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ファル | 授業もなく任務もないとなると、 どう過ごしたものか。 |
カトラリー | クリスマスだし……やっぱり、身近な相手と食卓を囲んで、 ご馳走を食べるんじゃない? |
カトラリー | 定番は、七面鳥のローストだよね。 イギリスだと、1か月くらい熟成させたクリスマス・プディングを 仕上げにフランベして食べるんだって。 |
カトラリー | 他にも、ミンスパイとか…… チーズを乗せたクラッカーとか、モールドワインとか。 いろんな定番のメニューがあるみたい。 |
ミカエル | ん……ぼくは、クリスマスに相応しいレクイエムを作ろうかな。 |
カトラリー | えっ……クリスマスにレクイエム? まぁ、ミカエルは天使だから……。 どれを弾いても素敵だろうけど。 |
ファル | …………。 |
カトラリー | ……? ファル? |
ファル | チーズ……ワイン……ふむ。 なかなか楽しめそうな催しですね。 |
カトラリー | 他にもいろいろあるんだよ。 たとえば──あっ。 ミカエル、そろそろ時間じゃないかな。 |
ミカエル | 時間……ああ、そういえばそうだったね。 オルガンを弾きに行ってくるよ。 |
ファル | オルガン、ですか。 |
カトラリー | うん。クリスマスに、チャペルのパイプオルガンを 弾くことになったんだって。 ミカエルの演奏は素敵だから、当然だよね。 |
カトラリー | ああ、それで、クリスマスの話だけど。 他にもいろいろあるんだよ。 たとえば、サンタさんからのプレゼントとか! |
ファル | サンタ……ああ、聞いたことがあるような気がします。 サンタクロースですね。 |
カトラリー | うん、そうそう。 いい子にしてると、サンタクロースがプレゼントをくれるんだ。 手紙を書いておくと、お願いが叶うこともあるんだって。 |
ファル | なるほど……そういうシステムなんですね。 カトラリーさんは何を願ったんです? |
カトラリー | ……秘密。 でもせっかくだし高級なものがいいから、 そこのところはちゃんと念を押して、何度も書いておいたよ。 |
ファル | 高級なものをねだるのは、 果たして“いい子”なんですかねぇ。 |
カトラリー | えっ……? いい子にしてるんだから、当然でしょ? ちゃんとリースも作ってサンタさんを迎えるんだよ? |
カトラリー | ほら、木の枝と木の実、リボンに鈴、柊…… 材料を買ってきたから、これでリースを作るんだ。 |
カトラリー | こういう行事の食事は、雰囲気も大事だからね。 部屋の飾り付けとか、特別なテーブルセッティングとか、 いろいろこだわりたいんだ。ファルも一緒に作ろうよ。 |
ファル | ……わかりました。 では、作り方を教えてください。 |
カトラリー | うん。まずは、木の枝を輪っかに編んでいくんだ。 見ててね、こうやって枝を丸めてリースの土台を── |
カトラリー | ……あれ? 上手く丸まらないな。 こうやってまず木の枝をまとめてまるーく…… ──あ! 折れた!! |
カトラリー | くそっ、もう一度……。ううんと……ええっと…… ……なに、この木の枝、反抗的過ぎない? ああもう、これでいいや。あとは飾りをつけて……飾りを……! |
ファル | ……今にも飾りが落ちそうですが、 クリスマスリースとはそういうものなのですか? |
カトラリー | うるさいな! これ、けっこう難しいんだからね! 僕ばっかりに作らせるんじゃなくて、ファルも作りなよ! |
ファル | 作れと言われましても…… 私はクリスマスリースというものを知りませんからね。 |
ファル | 今のをお手本として、 そのリースと同じものを作ればいいんですか? |
カトラリー | それ嫌味? だから、見てただろ! うまく作れなかったの! ……ああ、もういいや。リース作りはやめた! やめやめ! |
ファル | おや、やめてしまうんですか? リース作りは必要なことだと言っていましたが……。 |
カトラリー | 別になくてもいいんじゃない? 不格好なリースなんて、ない方がマシでしょ。ふん! |
ファル | まぁ、ご馳走があれば十分ではありませんかねぇ。 |
カトラリー | そう……? うん、まぁ、そうかも……。 |
カトラリー | ……クリスマス、楽しみだなぁ……。 |
──ベルガーがクリスマスマーケットをめちゃくちゃにしたのち
行方不明になったまま数日。
ベルガーを除く、寮に残る組の貴銃士たちは、
クリスマス当日を迎えた。
カトラリー | ……本当に、どこに行っちゃったんだろう。 |
---|---|
ミカエル | なんの話? |
カトラリー | あっ、ミカエル。 ほら、結局ベルガーが見つからなかったでしょ? やっぱり……ファルがやったのかなって思って……。 |
ミカエル | ん……あの時のファルは、 とても禍々しい音になっていたからね……。 |
ファル | おや、お2人揃って私の話ですか? |
カトラリー | ……! ファル……。 えーっと、その……ベルガーはどうしたんだろうって……。 |
ファル | さぁ。それをなぜ私に聞くんです? カトラリーさん。 |
カトラリー | えっ、えっと……なんとなく……だよ。 |
カトラリー | (ミカエルの言う通り、聞くのは危なかった……! 背筋がゾクゾクする……。 ベルガーのやつ、銃に戻ってたりして……) |
ファル | カトラリーさん、どこか具合でも悪いのですか? 顔色があまりよろしくないようですが。 |
カトラリー | な、なんでもないったら! ベルガーはそのうち戻ってくるだろうし、 僕、何も気にしてないんだから!! |
ミカエル | うん、それがいいね。 |
ファル | そういえば、カトラリーさん。 あなたのところにサンタクロースは来たんですか? |
カトラリー | ああ、うん。来たよ。 リクエストしたものとは別のものだったけどね。 |
カトラリー | でも、すっごいものが届いてたんだ! ほら、これ。 |
ファル | それは……水筒ですか? |
カトラリー | うん、水筒の一種で、マジカル・タンブラーっていうんだって。 これに飲み物を注ぐと飲む時まで熱いものは熱いままで、 冷たいものは冷たいままなんだ! どう? すごいでしょ!! |
ファル | 便利そうですね。 |
カトラリー | もともとは純金のゴブレットをリクエストしてたんだけどね。 だって、ほら、お金持ちが食事に使ってそうでしょ? |
カトラリー | でも、マジカル・タンブラーの方が実用的でいいよ。 サンタさんってすごいや! |
ミカエル | よかったね、カトラリー。 |
ファル | ふむ。 リクエストはサンタクロースなりに解釈されることもある……と。 |
ミカエル | ふふっ。 ファル、ちょっと耳を貸して。 |
ミカエルは、ファルにそっと耳打ちする。
ミカエル | 実はあれ、 サンタクロースではなくマスターからの贈り物なんだよ。 サンタクロースは架空の生き物だもの、当然だけれど。 |
---|---|
ファル | おや、そうなんですか。 |
ミカエル | 純金のゴブレットなんて、士官候補生には買えないもの。 だから、飲み物を入れるものってことで、 マジカル・タンブラーにしたみたい。 |
ファル | 彼は喜んでいるようですし、結果的によかったですね。 しかし、〇〇も大変ですねぇ。 マスター業だけでなく、サンタクロース業までこなすとは。 |
カトラリー | ちょっとそこ! なに2人でこそこそ話してるのさ? |
ファル | いえ、なんでもありません。 些末な情報を得ていただけです。 |
カトラリー | ふぅん……ま、いいけど。 で? ミカエルは何をもらったの? |
ミカエル | クリスマスの花束さ。 赤と緑のコントラストが鮮やかで、綺麗だよね。 |
カトラリー | うん、ミカエルにぴったりだね。 |
ファル | おや、あなたももらっていたのですか。 マス……いえ、サンタクロースとはまめですね。 |
カトラリー | ミカエルは天使だもん。 サンタさんがプレゼントをくれるのは当然だよ。 |
ファル | 残念ながら私にはありませんね。 ……まあ、いい子とは言い難いですし。 |
カトラリー | ……っ。そんな……。 |
ミカエル | ああ、ファル。 きみへのプレゼントは僕が預かっているよ。 マ……サンタクロースから君にって。ほら。 |
ミカエルはラッピングされた小さな箱をファルに渡す。
ファル | おや、これは驚きました。 ありがとうございます。 |
---|---|
カトラリー | へ……へぇ! ま、当然だよね! ね、ね、何をもらったの? 開けてみせてよ! |
ファル | わかりました。 ちょっと待っていてください。 |
ファルがプレゼントを開けると──
ファル | これは……ワインオープナーですね。 ワインのコルクを抜くための道具です。 しかし……。 |
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ファル | 残念ながら、私が準備したワインはもうありません。 あのクソウサ……ベルガーさんの愚かなる反抗によって 犠牲になってしまいましたから……。 |
カトラリー | ファル……。 |
ミカエル | ねえ、ファル。 ちょっとこっちに来てくれる? |
ファル | ミカエルさん? |
カトラリー | あ……! そっか! ほらほら、早く! |
ファル | カトラリーさんまで……? |
ファル | あの……。 食堂に何かご用事ですか? |
---|---|
ミカエル | あれをご覧よ。 僕たちからのクリスマスプレゼントだよ。 |
ファル | ……! あれ、は……。 |
カトラリー | すごいでしょ。 ファルが準備したクリスマスアソートの再現だよ! |
ファル | ええ、まさに私が準備していたオードブルそのものです。 でも、一体どうやって……? |
ミカエル | カトラリーと一緒に、あの料理を作ったコックや、 ワインの入手方法を調べたんだよ。 |
カトラリー | まぁ、調べるって言っても、 僕が贔屓にしてる有名レストランのシェフに聞いたら すぐにわかっちゃった。苦労なんて何もしなかったね。 |
ファル | …………。 |
カトラリー | ファル……? 何か言いなよ。 ほら、嬉しいとか、ありがとうとか……あるでしょ? |
ファル | ………………。 |
カトラリー | (……なんで固まってるの? ウソ……喜んでない? そんな……) |
ファル | ……すみません。 なんと言ったらいいのかわからなくて……。 |
ミカエル | おや……頬が赤くなっているよ、ファル。 |
カトラリー | ……えっ。 もしかして、照れてる、わけ……? |
ファル | 照れる……? 私が……? |
ミカエル | ふふ……きみのそんな顔が見られるなんて、 これもいいクリスマスプレゼントだね。 |
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