この国では除夜の鐘もなく、煩悩が消えることもない。
年の瀬迫る洋館で、モダンな服に身を包んだ文豪は一体何から逃れたいのだろうか?
締切、それとも……?
冷めぬ激情に身を任せ、愛おしき寓話に溺れていたい。
戯れを許さぬ奴等の幻は振り払え。
嗚呼、素晴らしき世界のため……命を……あ~、続きが思いつかねぇ!!
主人公名:〇〇
主人公の一人称:自分
夢の印税生活を目指し、
ライトノベルを書くことにした八九と十手。
学園ハーレムものに欠かせない、魅力的な女性キャラクターを、
身近にいる貴銃士たちを女の子に変換して造形するアイディアで、
執筆は順調に進んでいた。
八九 | うわ、もう日付変わりそうな時間じゃねぇか。 さっさと創作会議始めようぜ。 今日は第2章な。 |
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十手 | ええっと、カゲローと椿の出会いか……どうしようかねぇ。 まずシャルリーヌの朝の一撃を避けたあとに── |
在坂 | ……何をしている? |
八九&十手 | どるぎゃああああああ!? |
いつの間にか部屋にいた在坂から隠すように、
2人は慌てて原稿用紙の上に覆いかぶさる。
八九 | あ、あ、在坂!? |
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十手 | あ、あはは、いやぁ、驚いたな。 こんな夜更けにどうしたんだい、在坂君? |
八九 | なんでこんな時間に俺の部屋来てんだよ! 邑田に知られたら俺が怒られるだろ、早く戻れ! |
在坂 | 在坂は八九に用があったから来た。 ……今、何を隠した? |
八九 | べ、べっつに……ただのレポートだけど。 難しいから、話し合ってただけだ。 ……なっ、十手。 |
在坂 | …………。 |
八九 | (十手、ここは話を合わせろ!) |
在坂は慌てる2人を疑うようにジッと見つめている。
八九が在坂から見えない位置で十手の肘をそっとつつくと、
十手はハッとして助け舟を出した。
十手 | あ、ああ、そうなんだ! 俺1人ではなかなか考えがまとまらないから、 八九君と一緒に頑張れば、なんとか出来上がるかと思ってね。 |
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在坂 | レポート……確かに、何か文字が書いてあったようだ。 だが……『朝寝坊をしてパンを食べながら走っていたら 角でぶつかる』という文字だった。 |
八九 | ぎっくううう! |
在坂 | 今出ているのは科学の課題だけだ。 そんな内容にはならない。 |
八九 | そ、そ、そんな文字あったか~? 見間違えだろ~。お前、目悪いのな。 |
在坂 | …………。 |
八九 | (やべぇ、完全に疑ってやがる。 おい、十手! 助けろって……!) |
再び八九が、十手を肘でつつく。
十手 | 在坂君! そういえば、八九君に用があったんだろ? なんの用で来たのかな? |
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在坂 | 邑田が八九を呼んでいる。 今日の授業中、薄笑いを浮かべていたことについて 問いただすと行っていた。 |
八九 | んなっ!? |
八九 | (しくった……! 授業中はネタにした貴銃士どもと一緒だし、 乱闘も暴言も全部、創作で役立つから最高~とか思ってたけど! うっかり顔に出ちまってたか……) |
在坂 | 在坂も八九が笑っているのを見ていた。 授業が身に入らぬほど、 心ここにあらずになっている理由が知りたい。 |
八九 | そ、それはあれだ、新しいゲームがだな……! てか、授業中に人のこと見てんじゃねーよ! 気味悪ぃな! |
在坂 | 気味悪い顔しているのは八九の方だと思う。 とにかく、八九は在坂と共に来い。 |
八九 | い……いや、だからぁ! |
八九 | (邑田の部屋に行ったら詰む。 やれあれをしろこれをしろだの、 気が済むまでこき使われるに決まってる……!) |
八九は3度めの助け舟を出してもらおうと、肘で十手をつつく。
すると、十手はにっこりと笑顔で八九の背を押して
在坂と共に部屋から出そうとした。
八九 | な、十手!? |
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十手 | 邑田君は八九君が心配で仕方ないんだね。 頑張ってきてくれ、八九君……! 俺はレポートを進めておくから! |
八九 | お前、そんなこと言って続きを書きたいだけじゃ……! |
在坂 | 八九、邑田が待ってる。 早く行くぞ。 |
八九 | ちょっ、ひっぱんな! 腕もげる!! ちっこいくせになんでそんな力出るんだよ!! おい、十手! 助けろよおおおおおおおお……! |
十手 | すまない、八九君……! ……やれやれ。 部屋に鍵をつけた方がいいかな……。 |
十手と八九の共作は、あっという間に出版が決定。
発売日を迎えて数日経った12月半ばのある日、
八九は街の本屋へと偵察に行くことにした。
八九 | あークソ……緊張する……。 やっぱ、十手と来ればよかったか……? |
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八九 | (本当は発売日に……って、思ったけど 緊張しすぎて見に行けなさそうだったし……) |
八九 | (つーか、全然売れてなかったらやべーよな。 覗くのが怖ぇ……印税生活の夢破れるのを直視したくねぇ……。 はあぁぁぁ……。いや、気合入れろ! 俺!) |
八九 | よし、ますは街で1番デカい書店から行くか……。 |
八九 | えーと、小説コーナーは……っと。 お、あの辺りか……? |
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小説が並んでいる一角、新刊コーナーの場所に
『地味俺』が並んでいる。
八九 | ゥヒョッ……。 |
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八九 | (すげぇ! マジで俺たちの本が並んでる……っ!!) |
感動した八九がその場で立ちつくしていると、
『地味俺』コーナーに若い男性が近づいてくる。
八九は咄嗟に、手近な本を手に取って素知らぬ顔をした。
若い男性 | …………。 |
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八九 | (おっ、『地味俺』を手に取った……! うんうん、パラ読みするのは大事だよな……! 読んだら内容の面白さがわかるだろ?) |
八九 | (買え……! 買ってくれ……頼む……!! 本が売れねぇと、俺の夢が……!) |
しかし、八九の願いもむなしく
若い男性は本を置いて去ってしまった。
八九 | くッ……!! |
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八九 | (くそ……来るんじゃなかった! もう帰ろ──) |
その時、また新たな客が近づいてきた。
中年男性 | ふむ……。 |
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八九 | (へぇ……中年のおっさんでも、 ラノベに興味持ってくれるもんなんだな……) |
中年男性もパラパラと本をめくったものの、
やはり『地味俺』を置いて去って行ってしまった。
八九 | ………………。 |
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八九 | (ダメだ……。編集者は絶賛してくれたけど、 やっぱ俺たちの本は、一般ウケしねぇんだ……) |
八九 | ……帰ろ……。 |
肩を落とし、出入り口へと向かおうと身体の向きを変えた途端、
前から来た客と身体がぶつかってしまう。
八九 | っと、悪い! |
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中年男性 | いや、こちらこそすまないね。 |
八九 | (あれ? このおっさん……。さっき、 『地味俺』をパラ読みしてた人だよな? 戻ってきたのか?) |
八九が何気なく男性客を目で追うと……。
八九 | (えっ……? 『地味俺』をまた手に取って……? そ、そのままレジに向かったーっ!?) |
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八九 | (うわ、やべぇ……今、すげぇ嬉しくて叫びそう) |
女性客1 | あ~! あった、あった! 『地味俺』~! やっぱり大きい書店に来てよかった~! |
八九 | ……っ!? |
女性客2 | 本当だ! 川向こうの書店じゃ完売しちゃってたもんね。 ダメもとで見に来て正解! |
女性客1 | これ、めっちゃ面白いっていうもんね! 早く帰って読まなくちゃ! |
八九 | (は? なんだこいつら? これは夢か? 俺の願望が作り出した、都合のいい白昼夢? よし、頬をつねって……) |
八九 | イッテェ!! ……ってことは、現実……? |
八九 | ……っ!! うおおお……! |
八九 | (やべぇ、このままじゃニヤニヤした不審者になっちまう。 撤収、撤収だ!!) |
八九はそのまま口元に笑みを浮かべながら、
フワフワと夢見心地な足取りで書店の出入り口へと向かう。
書店員 | ありがとうございましたー。 |
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八九 | ……………………。 …………。 |
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八九 | 最……高……。 |
十手と八九の共著、通称『地味俺』は大人気となったが、
印税はほとんど孤児院へと寄付してしまい、野望は泡と消えた。
それでも晴れ晴れしい気持ちで新年を迎えた八九だったのだが、
邑田に部屋に呼び出され、一気に日常へと引き戻される。
八九 | (新年早々パシリかよ。 ……ったく、餅焼いてくれた時は、 ちょっとイイ奴だと思ったのに……絆された俺が馬鹿だったぜ) |
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八九 | おい、んだよ邑田……。 |
邑田 | ……これは陽炎や。浮気かえ? |
八九 | ……は? |
八九 | (ム……ムーラン……?) |
邑田から放たれたその言葉は、まさしく、
邑田をモデルにしたムーランのセリフだった。
思わぬ出来事に八九が固まっていると──
在坂 | 芒野、陽炎は椿のものだ。 |
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八九 | ……っ!!!! |
八九 | (い、今のは……在坂をモデルにした椿のセリフ! これは、確実に…………) |
八九 | (え??? バレた????) |
八九 | ……も……。 |
邑田&在坂 | も? |
八九 | さ……さーせんっしたぁっ!! 許してください!! もうしません!!!! |
八九は即座に邑田と在坂の前で綺麗な土下座をする。
八九 | 悪気はなかったんです!!! いい作品を作りたい一心で!!! |
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邑田 | …………。 |
八九 | マジですんませんっした!! 銃に戻すならひと思いに……っ!!! |
邑田 | …………。 |
八九 | (え……? 何もしてこない……?) |
邑田 | 顔をあげよ。 |
恐々と顔をあげると、無表情の邑田と目が合う。
何を考えているかわからないその視線に、八九は硬直した。
八九 | ひぃっ!? な、な、なんだよっ! 謝っただろ! そんな睨まなくてもいいじゃねぇか!! |
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在坂 | なぜそんなに怯える? 邑田も在坂も、八九に怒ってはいない。 |
八九 | え……? |
邑田 | 勝手に登場人物のおなごにされたことは遺憾じゃがのう。 物語自体は面白かったぞ。 何より、在坂が可愛く書けておる。 |
八九 | へ? |
在坂 | 在坂は金髪ぎゃるの狙撃が成功する場面がよかった。 何度も読んでしまった。 今度、実戦してみたいと思うほどだ。 |
邑田 | うむ。あそこは緊迫感の表現がよかったのう。 さすがは戦場に身を置いてきた貴銃士ならではの着眼点じゃ。 |
八九 | え……お前ら、もしかして褒めてくれてんの? マジで言ってる……? |
邑田 | わしが嘘を吐いているとでも言うのか? |
八九 | 滅相もございません!! 褒められるとか予想外すぎてよ……。 |
邑田 | まぁ、色々と詰めが甘い箇所はあるがのう。 楽しませてもらったことに免じ、今回はお咎めなしじゃ。 |
八九 | (はぁ……奇跡だ……! 奇跡的に死亡フラグ回避……!) |
八九が心のなかでガッツポーズをしていると、
邑田と在坂が『地味俺』を手にする。
八九 | もしかして考察が聞きたいとか、質問か? それなら、十手も交えて話を……。 |
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邑田 | いや、考察は別の機会でかまわぬ。 面白かったからのう。 褒美として特別に我らが直々に朗読してやろう。 |
八九 | な、なんだと……? 目の前で、朗読……? |
在坂 | 俺は葉月陽炎。 地味でこれといった特技もない、ただの士官候補生……。 |
八九 | ひぃぃぃ……っ!? |
邑田 | これ、八九。静かにせい。 嬉しいからといって、そんな声を出しては、 在坂の愛い声が聞こえぬじゃろうが。 |
八九 | いやいやいや……嬉しくないから! 作者の目の前で朗読とか、どう考えても羞恥プレイだよな!? |
在坂 | 遅刻、遅刻~っ。俺はパンを口にくわえながら、走る。 角を曲がろうとしたその時……。 |
八九 | 全部読む気か!? 面白かったとか言っといて、 やっぱり勝手にモデルにしたこと根に持ってるんじゃねぇか!! |
邑田 | わしらの厚意を疑うなど、悲しいのう……。 在坂、どんどん読んでやるがよいぞ。 |
八九 | や、やめろォ! やめてくれぇぇ~~~~ッ! |
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