強面の獣医には、絶対に守っている信念がある。
全ての動物たちに、きちんと怖がらずに治療を受けてもらいたい。
その思いを胸に、今日も奮闘しているのだが……。
引っ掻かれた傷跡が痛む。
アイツらの嘲笑う笑い声が聴こえてくる。
──だが、諦めたりなんてしない。
したり顔もそこまでだ。
これをくらえ!秘密兵器・おやつ!
主人公名:〇〇
主人公の一人称:自分
『アイゼンわんにゃんクリニック』。
腕の良い獣医がいると、近所で評判のペットクリニックだ。
ドライゼ | くっ……。いい加減、大人しくしないか! 怪我をしているのだぞ、治療をしないと苦しむのは貴様だと 何度も説明しただ……あっ、こら、噛みつくな! |
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エルメ | ……ふふっ。 |
エルメ | (また動物と戦っている……。 本当、出会った時から変わらないね) |
診察台で猫の治療に奮闘しているドライゼを眺めながら、
エルメは彼と初めて出会った時のことを思い出す。
エルメ | (あれはたしか、俺がまだ獣医学部の学生で……。 飼い犬のジグを予防接種に連れて来た時だったな) |
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エルメ | ……ここが新しくできたペットクリニックか。 |
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ジーグブルート | ぐるるるるる……っ。 |
エルメ | ジグ、知らない場所だからって警戒しすぎはダメだよ。 今まで診てくれた先生が高齢で閉院してしまったんだから……。 新しいクリニックにも慣れないとね。 |
エルメ | (本当は、あのクリニックで研修医になりたかったのにな。 動物のことを知り尽くした先生だった……。 でも、ないものは仕方ない) |
エルメ | (さて、俺の新しい研修先候補1件目…… ここが当たりだといいのだけれど) |
エルメ | すみません、予防接種を予約した者ですが……。 |
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子猫 | キシャーッ!! |
犬 | ワンワン!! ワンワンワン!!! |
ドライゼ | うわっ、暴れるな! 俺は治療を……ぐあああああっ!! |
診察室に入るなり、動物に逃げられ、引っかかれと
手を焼いているドライゼの姿が目に入り、唖然とする。
ドライゼ | あっ、初診の方だったな。 ──こら! 待たんか!! |
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犬 | ワンワン!! ワンワン!! |
エルメ | ……何、ここ。動物園? |
エルメ | (この人、先生? 動物に対して弱腰すぎる。 治療待ちの動物たちも騒がしいし、躾がなってないな……) |
エルメ | こーら! 静かにしようね。 |
見かねたエルメが一喝した瞬間、動物たちはピタッと静まる。
ドライゼ | む……! |
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ドライゼ | こいつらがこんな静かになるとは……驚いたな。 |
エルメ | 驚いたのは俺の方なんだけれど。 あなた、獣医なのに動物に対してあの態度はどうかと思うよ。 毅然とした態度も必要だって習わなかったの? |
エルメ | その厳つい顔をもっと利用して動物たちをきちんと叱れば、 俺の一喝より十分効果があると思うけど。 |
ドライゼ | うむ……確かに圧をかければ動物は大人しくなるだろう。 だが、俺は治療が怖いものだと思ってほしくない。 |
ドライゼ | だから、まずコミュニケーションとして 彼らに触れて、和ませてから治療を行うようにしている。 |
ドライゼ | 俺は味方だ、決して危害を加えない── そのように彼らに理解してもらうことが、 我が「アイゼンわんにゃんクリニック」の信条なのだ。 |
エルメ | ……へぇ、優しいんだ。でも、そんなに暴れられたら 診断できないんじゃない? それに治療に行きつく前に、 あなたが怪我だらけになっているような気がするけど? |
ドライゼ | む・・・そこは改善点だが、 怪我を負うことが失敗ではない。 |
ドライゼ | 獣医など、怪我がつきものの職業だからな。 その経験を次に活かし、動物と新たに向き合う 糧にすればいいだけだ。 |
ドライゼ | ……と、待たせてすまないな。 君の愛犬の予防接種だったな。 その前にボディチェックをしてからするとしよう。 |
エルメ | ジグ、診察台に座って。 |
ジーグブルート | グルルル……ッ! |
ジーグブルート | (チッ……し、仕方ねぇな。乗ればいいんだろ……!) |
ドライゼ | 身体に悪いところがないか確認するだけだ。 そんなに怖がらなくていい。 |
ジーグブルート | (はぁ? 怖がってる? んなだけねぇだろ。 この医者、気にいらねぇな。簡単に触らせてなんてやるかよ!) |
ジーグブルート | ワオワオ! ウワオウ!! |
ジーグブルートは診察台の上でジャンプしたり、
走ったりと動き回る。
ドライゼ | こ、こら! そんなに動いたら心音が聞こえないだろうが。 |
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ドライゼ | ならば……見ろ! これでどうだ! |
ジーグブルート | (あっ!! 骨ガム!!) |
ジーグブルート | ワオ! ワオワオ♪ |
エルメ | ジグ……。 |
エルメ | (いつもは病院なんて怖くないってフリをしながらも、 本当は尻尾を丸めて怯えているのに……。 今日のジグはリラックスしてる) |
ドライゼ | 俺は味方だ、決して危害を加えない── そのように彼らに理解してもらうことが、 我が「アイゼンわんにゃんクリニック」の信条なのだ。 |
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エルメ | ふぅん……。 |
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エルメ | (この人、面白い) |
後日、ドライゼの病院に再びエルメが現れた。
ドライゼ | ん? 愛犬の姿が見当たらないが……。 なんの用だろうか。 |
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エルメ | 今日はジグの診察に来たんじゃないんだ。 先生に個人的にお願いがあってね。 |
エルメ | 実は俺、獣医学部の学生なんだけれども……。 研修先を探しているんだよね。 ここで受け入れてくれないかな? |
ドライゼ | ほう、獣医学生だったのか。 どうりで動物の扱いに慣れているわけだ。 |
ドライゼ | そうだな、お前がいてくれれば動物たちも大人しくなるようだし、 いざという時に心強い。 ──喜んで、研修を受け入れよう。 |
エルメ | ありがとう。 ──よろしく、ドライゼ先生。 |
こうして2人の絶妙な連携によりペットクリニックは評判になり、
今に至るのだった。
とある日のこと。
事故で怪我を追ったアラスカン・マラミュートがドライゼの
ペットクリニックに運ばれて来た。
しかし、彼は隙を突きケージを開けて脱走。
すぐにドライゼが追いかけて、探しに出た数時間後……。
ドライゼ | ……今帰った。 |
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エルメ | お帰り。 ……彼、いた? |
ドライゼ | ああ、士官学校の校門にいた。 説得を試みたが……噛まれた。 |
ドライゼ | あいつ……飼い主に会うまで、 テコでもあそこを動かないつもりだ。 |
エルメ | 意思が固いんだね。で、どうするの? あのまま放っておくわけにはいかないよね。ドライゼ先生? |
ドライゼ | 知らん! |
ドライゼ | あいつ、怪我をしているのに……! 治療をしてやると言っても聞く耳を持たないで……! もう勝手にしろと言ってやったんだ! |
エルメ | おや? ドライゼが動物に怒るなんて珍しい。 |
ドライゼ | む……。 |
ドライゼ | 苛立つのはよくないな。 精神統一も兼ねて、動物用の特製ヴルストの仕込みをするか……。 |
エルメ | いいね。そうしたら? |
エルメに背中を押され、ドライゼは特製ヴルストを作りに
キッチンへと向かう。
ドライゼ | (もし、あの時せめてヴルストを持って出ていたら、 食いついた隙に連れて帰れただろうか……?) |
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ドライゼ | (それとも俺ではなく、エルメが追いかけていたら あの犬を従わせられたのだろうか……) |
ドライゼ | いや……いかん。 仕込みだ、仕込み! |
エルメ | ここが例の士官学校か……。 |
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エルメ | (おつかいのついでに士官学校まで来てみたけれど……。 あの子はいるかな……?) |
マークス | ……クゥン……。 |
マークス | (うう……腹が減ったし、ここは寒い……。 でも、ここを離れたらマスターに会えない……) |
エルメ | うーん……なるほど。 |
エルメ | (ずいぶん毛づやが悪い……何も食べてないのかな。 それに、あんなに身体を丸めて……寒そうだ。 だけど、あそこから動きたくない、と……) |
エルメ | …………。 |
エルメがマークスの様子を見に行った、翌日。
ドライゼが患者としてやってきた別のアラスカン・マラミュートを
診察した後、浮かない顔をしていた。
エルメ | あの子が気になるんでしょう? |
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ドライゼ | うむ……。 い、いや、別に心配しているわけではない。 |
エルメ | ふぅん……。 |
エルメ | ああ、そういえば……昨日、おつかいのついでに 様子を見てきたけれど、ちょっと痩せたみたいだね。 寒そうだったし。 |
ドライゼ | …………。 |
エルメ | ドライゼ、残りの仕事は俺がやっておくから行って来たら? |
ドライゼ | ……っ! エルメ、感謝する!! |
エルメ | 待って、ドライゼ。 急いで出て行くのはいいけれど、手ぶらでどうするの。 特製ヴルスト、持って行ったら? |
ドライゼ | そうだった。 |
ドライゼは犬用の特製ヴルストを手に取ると、
ものすごい速さで外へと出て行った。
エルメ | まったく。寒そうって言ったのに聞いてないね。 食べ物だけじゃなく、毛布とかも持っていけばいいのに……。 |
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ドライゼが途中で気付き、取りに戻ってくる可能性を考え、
エルメは毛布を用意するのだった。
とある日の授業開始前。
恭遠 | 皆、すまない。先ほど、急な任務が入ってしまって…… 今日は俺の代わりに、ドライゼが特別講義を行う。 |
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恭遠 | 内容はドイツ軍における軍用犬利用についてだ。 後でレポートも提出すること。では、頼んだぞ。 |
ジーグブルート | はぁ? 軍用犬はいいとして…… ドイツ軍の話なんざ教わることはねぇんだよ! |
マークス | ……犬……。 |
ドライゼ | 教官に頼まれたからには、しっかりと講義を行う。 ドイツにおける犬の訓練技術はトップクラスと言われているが── |
シャスポー | ハァ……あのさぁ、午後のお茶の時間の前に、 血生臭い話はやめてくれないかい? |
グラース | シャスポー、たまにはいいこと言うじゃねぇか。 せめて面白い話にしてくれ、ドイツ流の口説き方とか? |
ドライゼ | 黙れ。これは教官から要請された、立派な授業だ。 文句を言うのであれば、規律違反とみなすぞ! |
シャスポー | ハッ! まず規律違反より、君が講義をすることに問題があるよね。 僕よりも性能の低い君に教えられるなんて笑わせる。 |
グラース | だよなぁ、ドイツ銃が僕らフランス銃に 何を教えられるって言うんだか! 僕がレディの扱いについて講義した方が有意義だぞ。 |
シャルルヴィル | ちょっと2人とも、そんなに喧嘩腰にならないの! 講義なんだから、しっかり集中しなくちゃ。 |
シャルルヴィル | はぁ……。 なんでこんな日に限って、タバティさんいないかな……。 |
ドライゼ | 講義を続けるぞ。 ドイツにおける犬の訓練技術はトップクラスと言われているが、 近年では軍用犬に関する過度な訓練や躾は問題視されている。 |
ドライゼ | そこで、動物行動心理に基づいた友好的なトレーニング方法……。 犬を攻撃して恐怖で支配するのではなく、信頼関係を築き 人間を群れのボスとして認識させ従わせるという── |
マークス | 俺は犬……じゃ……なひ……むにゃ……。 |
ジョージ | Wow☆ マークス、こんなときに居眠りか! ふぁ~なんだからオレも眠くなってきたかも……。 |
シャスポー | はぁ、やってられない。 |
グラース | あーあ、やってらんねぇな! サボタージュしようぜ。 |
十手 | お、おーい! みんな、授業に集中しようよ……! |
混沌と化した教室内だったが、突然「パチン!」と
鞭の音が響いた。
全員 | !? |
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全員が驚いて音のした方を振り返ると、
エルメが机に鞭を振りおろしていた。
エルメ | ああ、ごめん。 ふふ、鞭って馬の調教用に使われているし、 昔の過度な躾ってこういうことかなって思って。 |
---|
エルメはにっこりと笑顔を浮かべながら、鞭をしならせる。
全員 | (うるさくしたら、問答無用で打たれる……) |
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エルメ | 授業が止まっちゃったね。 ドライゼ、講義を続けてくれる? |
ドライゼ | う、うむ……では、次に軍用犬の種類についてだが……。 |
数十分後。
マークス | 俺は犬じゃない!!!! |
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ドライゼ | おい、マークス! どこへ行く! まだ講義は終わってないぞ! |
ライク・ツー | ……授業が犬の話だから、犬の夢を見たのか? あいつらしい。 |
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